関西を中心に活躍しているフリーアナウンサーの上代貴子さん。
MBSラジオなどでパーソナリティを務めるほか、色彩心理カウンセラーとしても活動するなど、多方面で活躍されています。
今回は、そんな上代貴子さんが、「結婚しているの?それとも独身なのか?」また、上代貴子さんの父親や実家、プロフィールも調べてみました、
上代貴子は結婚してる?独身なの?その理由も調査
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ヤマヒロのぴかッとモーニングに出演する上代貴子(左)【出典:ぴかもにエックス】
上代貴子は結婚してる?それとも独身?
結論からいうと、上代貴子さんは現在も結婚していません。
2025年4月時点で52歳になりますが、独身であることを自身がラジオ番組で明かしています。

ラジオ出演中の上代貴子
特に注目されたのが、2022年に出演したラジオ大阪の番組での出来事です。
そのときの放送では「わたしと結婚」というテーマでリスナーからのメールを募集し、自らが独身であることをオープンに語っていました。
また、そのラジオ内では「結婚相手に求める条件が11カ条ある」と話しており、共演者の方からは「結婚は勢いや!」と笑い交じりにツッコミを入れられる場面もありました。
残念ながら、その11カ条の中身は放送がすでに終了しているため確認できませんが、リスナーの間では「きっと理想が高いのでは?」といった声も出ていたようです。
そして、リスナーさんから頂いた「わたしと結婚」メールでは、様々な結婚式の思い出に心を打たれました。上代が結婚相手に求める11カ条も特別に?!公開。決して贅沢は言ってないと思いますけど…あなたはいかがでしょうか?寺田さんから「結婚は勢いや!」と説教される上代にもご期待ください(笑)
【引用元:上代貴子公式ブログ】
上代貴子さんは、見た目もとても若々しく、品のある美しさを保っている女性です。

美しさを保っている上代貴子 【出典:昭和プロ】
そのため、「実は結婚していて家庭を持っているのでは?」と勘違いされることも多かったようですが、本人の発言からも現在は独身であることは間違いありません。
とはいえ、過去のラジオでのトークやブログを見ても、結婚に対して否定的な印象はなく、むしろ結婚式にまつわるエピソードを感動的に語ったり、司会として1000件以上のブライダル経験があるなど、結婚に対する理解や関心は深いということが伝わってきます。
上代貴子が独身の理由は?
上代貴子さんが独身であることは、過去のラジオ番組の発言からも明らかになっていますが、なぜこれまで結婚という選択をしてこなかったのか、その理由に興味を持つ人も多いでしょう。

相撲好きでもある上代貴子
まず大前提として、上代貴子さんは「結婚しない」と決めているわけではありません。
実際、上述のように2022年に出演したラジオ番組では、結婚についての話題に触れたうえで、自らの「結婚相手に求める条件」を11カ条あると明かしています。

これは結婚に関心があることの裏返しでもあります。
結婚願望がゼロというわけではなく、「相手をしっかり見極めたい」「後悔しない選択をしたい」という思いの強さが、逆に独身という現状をつくっているのかもしれません。
また、上代貴子さんのライフスタイルも大きな要因のひとつかもしれません。
上代貴子さんはアナウンサー・司会者として多くの現場で活動し、これまでに1000件以上のブライダル司会を経験。
ラジオのパーソナリティに加えて、色彩心理カウンセラーや講師業など、多彩なキャリアを築いてきました。
その中で、多くの人と接し、いくつもの幸せな結婚式を見届けてきたからこそ、自分の結婚にも「理想と現実」のギャップを強く意識している可能性もあります。

しっかりと自分自身と向き合い、相手のことも見極めたいという思いがあるからこそ、今の独身という生き方を選び続けているのかもしれません。
上代貴子の父親はどんな人?

上代貴子
上代貴子の父親は島根から大阪に出てきたサラリーマンをしていた
上代貴子さんの父親については、上代貴子さん自身がブログやラジオなどでたびたび話題にしています。
まず、年齢は2025年現在で84歳前後とされており、出身地は島根県です。
若い頃、上代貴子さんの父親は島根から大阪へ出てきて、サラリーマンとして働いていたそうです。
当時の勤務地は大阪市内の「十三(じゅうそう)」という場所で、職場の最寄り駅がそこだったとのこと。

十三の街並み 【出典:wiki】
十三といえば、大阪の中でもディープな下町情緒が残るエリアで、地元の人たちの間では親しまれている街です。
上代貴子さんによると、父親はその十三での思い出をとても大切にしており、今でも「喜八洲総本舗の酒饅頭(さけまんじゅう)」が大好きだそうです。

喜八洲総本舗 【出典:上代貴子【 公式ブログ】
なんと、上代貴子さんが父親への手土産として酒饅頭を買って帰ったときには、「懐かしい!」と声をあげて喜んでくれたというエピソードも語られています。
よほど楽しい想い出があるのだろう。「十三」の話になると目を輝かせる(笑)。「喜八洲」に寄って「酒饅頭」を買い、会社の寮の仲間と食べるのも楽しみだったそう。20代の父になった気分で「酒饅頭」を手土産に買って帰る。「懐かしい~!」と声をあげて喜んでくれた。
【引用元:上代貴子公式ブログ】
上代貴子の父親は脱サラして事業を立ち上げた苦労人!
その後、父親はサラリーマン生活を経て「脱サラ」を決意。
結婚して家庭を持った後に独立し、事業を立ち上げたということも分かっています。
詳細な業種までは語られていませんが、「休みなく働いていた」との記述があることから、決して楽な道ではなく、家族のために一生懸命に働いていたことがうかがえます。
島根から出てきてサラリーマンをしていた頃、父はどんな人生を思い描いていたのかな?その後結婚して脱サラして、休みなく働く日々だったけど…
【引用元:上代貴子公式ブログ】
また、上代貴子さんが語る父親は、ただの“厳格な父”というイメージとは少し違い、どちらかというとユーモアがあって、昔の話を楽しそうに語るような、温かみのある人のようで親子仲もいいようです。
ちなみに、上代貴子さんは阪神タイガースの糸原健斗選手のファンとしても知られていますが、「父と同じ中学出身だから」という理由で応援しているとも発言しています。
父と同じ中学校出身だから
という理由で贔屓にしてた#糸原選手
その心意気に惚れた♡https://t.co/FqtrE3WXgL— 上代貴子 (@jo0749283287696) November 12, 2024

こうしたところにも、父親との仲の良さが伝わってきます。
上代貴子の実家は民謡教室!民謡がアナウンサーになったきっかけ?
上代貴子さんの実家は、なんと「民謡教室」を営んでいます。
上代貴子さんの出身地は大阪府堺市で地域的にも芸事や伝統文化が身近にある環境で育ったことがうかがえます。
実家で開かれていた民謡教室について、詳しい場所や教室名までは明かされていませんが、上代貴子さんがブログやインタビューで何度か「民謡が身近だった」と語っていることから、家庭内に常に三味線や唄といった日本伝統音楽が流れていた環境で育ったことは想像に難くありません。

タンバリンを叩く上代貴子 【出典:ぴかもにエックス】
なお上代貴子さんは現在も「昭和歌謡」や「民謡」を好んで聴いており、ラジオ番組などでその知識を披露することもしばしばあり、上代貴子さんの話し方や声の美しさ、発声の丁寧さも、幼少期から民謡に親しんでいた経験が土台になっている可能性があります。
中学校時代には校長先生から「あなたは声がいいから、声を使う仕事に就いたら?」と言われたことがきっかけでアナウンサーを志したというエピソードもあるように、その声の魅力は幼い頃から周囲に知られていたようです。
上代貴子プロフィール

上代貴子
名前 | 上代貴子(じょうだいたかこ) |
---|---|
生年月日 | 1972年8月31日 |
出身地 | 大阪府堺市 |
身長 | 不明 |
血液型 | 不明 |
学歴 | ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科 |
趣味・特技 | ライブ鑑賞、野球・相撲観戦、昭和歌謡・民謡を聴く |
資格 | 色彩心理カウンセラー1級、色彩コーディネーター2級、ライフオーガナイザー2級 |
上代貴子さんは1972年8月31日生まれ、大阪府堺市出身のフリーアナウンサーです。
ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科を卒業後、アナウンススクールに通い、ブライダルや式典などの司会者として約12年間活躍。

ノートルダム清心女子大学
その後、約10年間にわたり日本道路交通情報センター(JARTIC)大阪センターに勤務し、関西のラジオやテレビで交通情報を伝える仕事を担当しました。
2018年にJARTICとの契約が終了すると、MBSラジオの番組『レイディオ・ゴー!』でパーソナリティを務め、本格的にフリーアナウンサーとしての活動をスタート。
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上代貴子(左)が出演していたMBSラジオ『レイディオ・ゴー!』【出典:MBSラジオ】
司会業では1000件以上の現場経験を持ち、現在は司会講師やボイススクール講師としても後進を指導しています。
また、色彩心理カウンセラー1級や色彩コーディネーター2級などの資格も持ち、色彩の分野にも関心を寄せています。
昭和歌謡に造詣が深く、岩崎宏美さんなどの公演にも頻繁に足を運ぶ音楽ファンとしても知られています。
上代貴子まとめ
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ヤマヒロのぴかッとモーニングに出演する上代貴子(右)
上代貴子さんは現在52歳(2025年時点)で独身です。
本人がラジオ番組でその事実を明かしており、2022年に出演した放送では「結婚相手に求める11カ条」を語るなど、結婚に対して前向きな姿勢を見せていました。
司会者として1000件以上の結婚式に立ち会い、多彩な仕事に精力的に取り組んできた経験から、「慎重に相手を選びたい」という思いが強く、独身という道を選んできたのかもしれません。
父親は島根県出身で大阪・十三でサラリーマンとして働いた後、脱サラして事業を立ち上げた苦労人。
現在も親子関係は良好で、地元の銘菓を通してエピソードが語られています。
また、実家は大阪府堺市で民謡教室を営んでおり、幼い頃から三味線や日本の伝統音楽に親しんで育ちました。
声の美しさを評価されたことがアナウンサーを目指すきっかけにもなっており、現在の活躍の原点ともいえる環境です。
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